1960年代の中後期はアメリカ黒人にとって公民権運動や差別撤廃運動を背景にした黒人文化の主張の時代でした。そうした激動を経て、新しい時代が切り拓かれたのです。
1971年から放送されたドン・コーネリアスがプロデューサー・司会を務め、アフリカ系アメリカ人のアーティストが出演する番組「SOUL TRAIN」がまたたく間に全米ネットとなりました。そして西海岸に住む若者達はこの番組でダンスの腕を披露すべく、オーディションの列を作ることになるのです。
1972年にはこの「SOUL TRAIN」で、鍵をかけるように体を静止させたり(Lock)、観衆を指さしたり(Point)するLockin'のダンススタイルが確立されていきました。また、「ロボットダンス」をベースに、全身の筋肉を弾くような動き(Pop)を加えた踊りが開発されました。それ以外にもWaackingも「SOUL TRAIN」によって広まり普及しました。
一方、東海岸では西海岸とはまた違った大きなムーヴメントが起きていました。1970年代初頭、ニューヨークのサウス・ブロンクス地区。世界的なディスコ・ブームの頃、ブロンクスに住む若者たちは純粋にビートの進化や表現手法にこだわっていました。遊びに行くお金を持たない貧困なアフリカ系アメリカ人の若者達は、公園に集まってパーティー(ブロックパーティー)を行うようになります。
街角の壁などをキャンバスにスプレー缶で描かれ(Graffiti)、DJは数小節のブレイクビーツをくり返し(Loop)、レコード盤を擦る音(Scratch)を操ります。そのリズムで韻を踏みながら話したり(Rap)、路上に段ボールなどを敷いてつくられたダンススペースでDJが発するリズムにいままでに無いムーヴ(Breakin')で応えます。これが文化としての「HIPHOP」の誕生です。
現在ではHIP HOPという言葉を単に「ダンスのスタイル」や「ダンスを踊る=ヒップホップする」と捉えている人が多いが、HIP HOPとは本来カルチャーの総称であって、ダンスはその要素のひとつなのです。